午未天中殺は、決して心配性ではないけれど、かなり神経質なところのある人です。宿命の本質には、「まとめあげる」とか「締めくくる」といった働きがあります。“家系を締めくくる”という運命を持っていて、何番目に生まれようと、この天中殺は中年期にさしかかる頃になると、なんとなく一家のまとめ役をしているということになります。このような働きは組織の中へ入っても同様です。事業などが行き詰まり、もう倒産か、この会社はどうしようもないというようなところまでいった時でも、午未天中殺に頼むと、その後始末をうまくやってくれる、あるいは損が出ないようにまとめてくれる、後片付けしてくれます。また、好きなことに熱中するから「凝り屋」になって、努力を積み上げます。
組織の中でも十分に才能を発揮できるし、また、独立して自由業の世界でもやっていけます。他人からは「要領のいい、世渡りのうまい人」と見られます。家系的に見ると、自分の代で全部まとめあげることになってしまい、子供は新しい仕事、新しい職業、新しい世界へと進んでいくことになり、先祖代々続いてきたことも自分の代で終わり。ですから、この天中殺には、宿命として「子供がいない」という本質もともなっています。子供は何人いても、年齢をとってから、側にいてくれる子供はいないとか、女の子には縁があるけれど、男の子はまるで縁を切ったように離れていってしまうとか、子供は全く別の行き方へ進んでいってしまうといったような状態で、自分の跡取りをする子供はいないということです。
また、この南方位の午未天中殺の正反対の北に位置する“反骨精神”の意味はこの天中殺にとって大いに味方になっているはずです。それだけにどちらかというと自由業の世界を本能的に目指すのが特徴ともいえます。この天中殺は家系の中でも、みんなの後始末をして、最後にあの世へ行くという形──つまり、長寿です。午未天中殺は、だいたいが凝り屋ですから、好きなことを見つけると、あきずに続けていってものにしてしまいます。絵を描く、トランペットや三味線とか‥芸術的な面では、素人とは思えないような才能を持っています。
■午未天中殺の幸運・衰運のサイクル
午未天中殺のサイクルには、それほど激しい運の変動はありません。意外と過ごしやすい運と考えてもよいでしょう。ぐんぐん伸びていくという面が少なく、地味な質をもっています。それが多少不満に感じられるかもしれませんが、その代わり、運の落ち込みや浮き沈みも少ない人生になりやすいのです。天中殺期間は午年、未年の2年間に当たります。この天中殺期間中、午未天中殺は突然の運の変転に動転するということはあまりありません。もちろん、災いをもたらす天中殺の期間ですから、仕事上の思いがけない失敗やトラブル、あるいは家庭内の揉め事など起こりやすいのは当然です。特に、この時期、部下の起こしたトラブルの影響で運が揺れることがよくあります。部下の使い込みや得意先との争いなどの責任から、関係のない午未天中殺の人が減俸されたり、部署替えや戒告処分を受けたりというトバッチリに遭うことは少なくありません。家庭内でも、もめごとの中心は子供。子供のことで学校へ呼び出されて叱られたり、悩むことが多くなる時期です。しかし午未天中殺は、そのことで激しく動揺することはそうありません。「そうか、自分のせいではないが仕方がない。人生にはそういうこともあるさ‥‥また、わかってもらえるときが来るだろう」と、静かに過ごす知恵が備わっている。精神的な揺れに対しては非常に強いものがあるのです。そうして、じっと耐えて天中殺の期間を過ごしますから、あまり無駄なパワーを消耗しないで済むわけです。次の二綋期、申年、酉年に入ると、余力をもって、この天中殺あけを迎えます。したがって、それまで閉じ込められていた力をパッと発揮できるように、運勢はぐんと跳ね上がります。天中殺の秘法は古来より、午未天中殺の二綋期は「人生の変動期」であると語っています。すなわち、変化のときということで、たとえば、自分自身の職業が変わったり、引っ越したり、生活環境が変わるようなことが起こるというわけです。また、古くからの友人が離れていったり、反対に、急激に新しい友人の輪が広がっていきます。若い人なら独立、中年期なら転勤や引越しということでしょう。その変化はマイナスでなく、プラスの方向へあらわれてくるのが普通。たとえば、職業や仕事が変わったことで、「今度の仕事はすごくやりがいを感じる」「こういうところでなら楽しく働ける」といったように、自分の気持ちが明るい方向へ動いていくというようになれるのです。しかし、問題は次の三綋期の戌年、亥年です。天中殺から遠ざかれば遠ざかるほど、運勢が上昇していくのが普通の天中殺サイクルの動きです。しかし、午未天中殺の場合は、この戌年、亥年に運の落ち込みが来ます。現象としては病気。特に、亥年のところで「健康運が下がる」ことになります。このじき、天中殺とは違いますが、何となく天中殺に似たような、芳しくない状態があるわけです。戌年あたりから体調がどうもすっきりしないというような状態が続いていたのが、亥年にきてそれがぐんと悪化することがよくあります。この時期にも天中殺同様、自分の家族に移動現象が起こることがよくあります。家庭があれば、自分の子供や配偶者が病気をしたり、親が怪我をしたり‥‥というように、午未天中殺の現象がそちらへ移動してしまうわけです。この時期は病気だけでなく、自分をめぐる新しい環境に、いろいろゴタゴタした変動があってもたつくことになります。それが亥年の運と思ってください。以前の二綋期の申年と酉年で環境が変化していますから、その明るくなった新しい環境の中で周囲に問題が起こるということです。家族はもちろん、会社の上司、同僚、部下、友人‥‥いろいろとゴタついて、思わず「やっぱり慣れないところは疲れる」などと思うことになりかねません。しかし、その悩みも亥年だけのこと。六綋期、子年、丑年に入ると、自分の仕事が周囲に認められ、存在が高く評価されます。サラリーマンなら、今までどうも地味な存在だったのが、急に脚光を浴びるような仕事に巡りあったり、具体的な地位の昇進、栄転ということが出てきます。芸能関係とか作家でも、パッと人気が出るとき――。「好事魔多し」と言いますが、実は、午未天中殺の人は、この子年に運がありすぎるのが問題。グラフを見ると丑年の方に、精神的な揺れが出ています。これは、子年に非常に高く評価される、人気が出るということで、自分の運をつかみ過ぎてしまうのです。運のバックアップがあるので、実力以上の評価を得てしまうと言ってもいいでしょう。荷が重くなるのです。特に、若い年代の人の場合、六綋期のチャンスでは自分の器や力量以上の幸運をつかんでしまう可能性が大きく、責任が重くなって、欲年の丑年に非常な揺れが出てきます。「こんな大役が務まるのだろうか」「こんなに人気が出て、次の作品は書けるだろうか」といったような、一種のスランプとストレス、決して運勢は下がっていないのに、精神的に非常に落ち込んで、憂鬱になったりする状況――。これは子年に幸運をつかみ過ぎた歪みなのです。五綋期の寅年、卯年に入ると、「名誉と財」の両方、幸運の全てが手に入ります。家も建てたい、そのための資金も‥‥そうしているうちに、会社の地位が上がったり、大屋さんとの交渉でそれまで借りていた土地が半分貰えることになったりという、思いもかけぬ幸運の両手に花はこういう時期に実現するわけです。集中的な幸運期ですから、何か目標があるなら、この時期を目がけて事を起こせばいいのです。次の四綋期、辰年と巳年は安定期。天中殺へ向かっていきますから、運の上昇は見られませんが、心身ともに穏やかな安定した時期を楽しむことができます。そして、午未天中殺のサイクルは、そのまま、じわじわと下がって天中殺へゆっくり入っていきます。辰巳天中殺のように、一気にドスンと突っ込むことはないので、時には、天中殺に入ったことすら気付かないことがあるくらいです。静かに入って、そして、出るときは急激な勢いで天中殺を抜け出る――自ら、「あっ、何か悪い時期が終わったな」と自覚できるように、急速に天中殺を脱出する、これが、午未天中殺の運の特徴です。午未天中殺が、何かを実現したいと目指すなら、天中殺を過ぎた二綋期あたりで準備を始め、三綋期の戌年あたりで行動を起こす。亥年は何かとガタつきますが、次の子年の上昇運に乗るには、このくらいの準備期間が必要でしょう。丑年はできるだけ精神的な負担を減らすことを考えて、無理はしない――そして、寅年、卯年で思い切って全力投球をする。このことで、寅年から巳年までの4年間、高い運気を維持しながら、平穏な安定を楽しむことができることになります。