大変にデリケートな神経を持っていながら、大らかに見えるため、甘く見て近づいてくる人は少なくありません。しかし、いったん何かがあったときとか、ヒョッとした拍子に、その激しい内面が現れてしまうことがあります。こうした、見かけとはずいぶん違う内面を持つ、戌亥天中殺の宿命の本質にあるものは「無から有へ」というエネルギーの働きです。そして、「孤独」とか「静けさ」といったものです。また、戌亥天中殺は自分一代で新しい世界、財産を築いていく運命を持っています。

この天中殺は六つの天中殺の中でも一番心の支えが少なく、それだけに心の修練を積む必要があり、それに集中し出した人が心の高い次元を会得し、宗教家とか思想家になっていきます。一方、怠け心のままに流されてしまう人もいます。戌亥天中殺は、家庭の流れ、現在地点、現実的な行為で形成される心といったものが欠けるのです。家系の流れが途絶えるということは自分一代で新しい世界を切り開いていくことですし、さらに現在地点の欠如は現状での満足や充実感は少ないのです。逆にいえば、現状で安住し、満足を得たときは、運はそこで静止してしまいます。戌亥天中殺はどんな分野においても、自分独特の世界を開く力を持っています。その意味で、ある種のカリスマ性を備えた人が少なくありません。次に、「孤独」ということですが、親・兄弟がいない“孤独”というのではなく、応援のない人生を歩く、といった意味での孤独です。誰かに頼ろうとするとか、力を借りようとすると、それだけ、持って生まれたエネルギーは発揮されず、不満の多い人生になります。“孤独”な世界から出発して、そこから伸びていく運です。若い時代から一気に運をつかむ人は少なく、だいたいが四十代、五十代、六十代と、年齢を重ねるにつれて尻上りに運がよくなり安定してきます。

また、大家族の中では、「あいつはおかしい奴だ」「変わり者だ」という見られ方をしてしまい、よい面が伸びてこない――つまり、運が抑えられてしまうのです。それが、核家族とか、大家族から出て、一人暮らしを始めたとたんに、顔つきまで生き生きとしてくるといった、孤独になることで運の伸びる特徴を持っています。大変に働き者の面と、大変な怠け者の面の両方を持っています。また、ダメだと思ったときには、あきらめの良さ、思い切りの良さが出て、パッとやめてしまいます。しかし、いったん、人生の横道にそれて、「遊んでいるのが平気」という面が出ると、遊び人中の遊び人が出るのも戌亥天中殺の星です。

■戌亥天中殺の幸運・衰運のサイクル

戌亥天中殺の人生には試練が多いという宿命があります。しかし、試練が多いから、悪い人生だということでは決してありません。宿命的に非常に深い人間の根源的な“業縁”のようなものをもっていて、そのために、いくつもの試練が人生に用意されていて、そこにぶつかり、悩み、苦しみ、考え、それを突き抜ける‥‥ということを繰り返すことで、少しずつ少しずつ、その業が薄れ、人間としての魂が洗われていくのです。ですから、戌亥天中殺は、楽しく遊ぶためにこの世に生まれてきたのではないことを、まず、頭においておかないと、自分の人生が捉えられなくなってしまいます。出発は戌年、亥年の天中殺です。戌亥天中殺というのは、天中殺期間が終わってもかなり余韻の残りやすい天中殺です。したがって、天中殺のあけた二巡目、つまり二綋期の2年間、子年と丑年に入っても、半年ぐらいは天中殺の現象がズレ込んで出てくる場合があります。二綋期の前半、子年の現象は精神的なものです。特別に病気ではありませんが、「躁」と「鬱」の状態が交代に出てくるような、不安定な精神状態。天中殺があけたのに、非常に気分がいいときと、逆に、おおきく落ち込むときの差が激しい状態で半年ぐらいを過ごします。しかし、運勢としてはじわじわと上がっています。もう一つ、子年の特色は「財力運」。天中殺があけたとたんに、財力運が出てきますが、それも、よく働いたから収入が増えたというような財ではなく、不動産を手に入れるとか、時には住居を変わる、職業が変わることも含めての財力――。中年期の人ですと、子年から丑年にかけて、職業や住居の変化がよくあらわれてきます。また、十代後半から二十代、三十代ぐらいですと、財力より異性運が強くあらわれてきます。それも、一般的な意味での異性運ではありません。戌亥天中殺というのは、固すぎて異性の心がわからないか、反対に、異性交遊が派手すぎる人とか極端です。したがって“並”ではない遊びの相手、浮気、不倫、極端な年齢差――など、ちょっと常識的ではない異性運となるでしょう。丑年は運期がぐんと伸びてきます。この時期の現象は「変化への願望」です。考え方の変化が出てきて、「自分という人間に、一種の変化をもたらしたい」と思うようになるのです。生き方を変えてみようとか、もっと思い切って遊び人間になってみようとか、いわゆる変身願望です。しかし、ここで、願望どおりに変化することは必ずしもよいこととは言えません。というのは、戌亥天中殺の人生というのは、一つの仕事をやり始めたら途中で変えない、一つのことをまっしぐらにやり続けることで運がよくなるのです。丑年で、何か新しいことを始めたくなったら、それは夢だけに終わらせて、現実の人生は変化させない方がいいのです。丑年で何か始めても、一見成功したように見えても、決して心の満足が得られないことが多いのです。次の三綋期、寅年と卯年で、戌亥天中殺はこの12年間の基盤を築くことになります。寅年は、いろいろなものが「しっかり根づいていく年」になります。住居も決まるし、仕事も安定性が出て、そこから伸びていくための基盤ができます。現象としては、自分という人間が周囲に認められます。それも自分自身は気づかないで誰かがじっと見ているというような認められ方です。しかし、寅年は何かと気苦労が多くなります。次の卯年は穏やかに推移します。卯年の現象は「人間の輪、拡がり、出費重なる」と語られています。人間関係はどんどん広がるけれど、出費も多い年。しかし、その出費は、ただの散財でなく、将来のための投資と思ってよいのです。緩やかに上昇してきた運気が、六綋期で最高運に達します。しかし、この最高運に到ったとき、他の天中殺のように、文句なく幸運を楽しめないのが戌亥天中殺の試練です。グラフを見ていただくと、辰年の運気が揺れています。運は強いけれど、揺れもある――努力することで、一皮むけてくる“解脱”の年と思ってください。必ずしも苦しい試練ばかりではありませんが、苦しい状況に追い込まれたり、病気で悩んだりという試練に遭うこともあります。また、よい形での試練もあります。たとえば、サラリーマンなら、自分の実力は十しかないのに十五の仕事を持ち込まれたとか、自分の力はこれだけと思っていたのに、「こんな大きなこともできたのか」というような、いわば、挑戦をしていかなければならない年になります。若い女性なら自分には身分違いと思っていたような、育ちの違う人と恋愛したり、プロポーズされたりします。そして、そこへ思い切って、飛び込んでいくことで脱皮できることになります。こういう年の受験なら思い切って、一ランク上の学校を狙って挑戦してみることで、次の運気を大きく伸ばしていけるのです。解脱とか、試練というと、非常に宗教的に思えるかもしれませんが、平たく言えば、力量以上の仕事に挑戦することになり、それが成功すれば段階が上がると思っていいのです。しかし、それだけでは、戌亥天中殺が本質的に持ち、宿命の基本にある“精神的に高められていく”といった方向性が表しにくいので、敢えて、このような言葉を使っています。巳年は、そうした挑戦の結果、自分の力がひとまわりもふたまわりも大きくなっていると考えていいでしょう。心が大きくなる、大きな視野が開けているといった感じです。次の五綋期、午年、未年は運気が下がるときです。高い水準でここまできていますから、仕事運とか経済運は変わりませんが、自分自身ではなく、自分の周りに不運が起きやすくなります。親が病気をしたり、配偶者が怪我をしたりといったような慌しさが出てくるのが午年。周囲の人に不運なことが起きたとき、自分のことのように親身に助けてあげる――実はこのことが、今まで語られたことはないのですが、戌亥天中殺が次の天中殺に大きな落ち込みをしないために絶対に必要なことなのです。それも、心から手を差し伸べること。「自分には関係ないよ」と突き放してしまうと、次の天中殺の現象が怖いことになるでしょう。そして、いよいよ、自分自身が変化したくなるときが来るのが次の未年。実は、丑年で変化していると、この6年後の未年で大きな歪みが生じます。未年になると、仕事が変わったり、引っ越したりという変化が出やすくなります。しかし、ここでも、実は変化しない方がいいのです。ここで変化してしまうと、今度は次の天中殺に苦労が多くなるという現象があります。変化しないで、我慢する方をとれば次の天中殺はあまり変動がありません。戌亥天中殺が、「よし、やってみよう」と思い切って変化するチャンスはむしろ辰年。未年は踏みとどまる大人の知恵が試されているときと思ってください。四綋期の申年、酉年も天中殺前なのに運気が上昇しています。申年はそのため、まっしぐらに駆け抜ける「戦いの年」になります。迷うことなく、自分の道を突き進む年です。酉年は逆に迷いが多くなります。「こうだろうか」「ああだろうか」と考え方がいくつも出てくる――しかし、あまりあわてて仕事をすると、すぐ次が天中殺ですから危険。方向は申年のうちに決定して、酉年はそこをまっしぐらに突き進むだけにしておくことが肝要。こうして、十代、二十代、三十代、四十代‥‥というように、各年代で天中殺サイクルを繰り返すごとに、戌亥天中殺は何回も大きな挑戦をさせられたり、悩みや迷いという試練に遭い、精神的に成長していくことになります。